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すでに皆さんご存知の通り、F1チャンピオンのミハエル・シューマッハ選手が引退を表明し、一線を退くことになりました。
彼が参戦したのは、91年のベルギーGP。
当時の所属チームは、ジョーダン・グランプリ。
とある事情で欠場となった選手に代わり、ピンチヒッターとして参戦することになったシューマッハ(以下敬称略)は、走るのもはじめてのこのベルギーのサーキットで、並み居るベテランを差し置いて、予選7番手という好位置を獲得することになります。
同じマシンに乗るチームメイトは、何度もこのベルギーを経験しているベテランですが、13番手だった・・・シューマッハが「脅威の新人」と話題になるのも必然でしょう。
決勝はマシントラブルから、1週も出来ずに終わってしまいましたが、彼のF1における第一歩はこうして始まったのです。
奇遇なことに、私もF1を見始めるようになったのも91年。
若干のずれはありますが、私が今までF1と付き合っていた年数と同じ分、シューマッハも走っていたことになるわけですが、いなくなってからわかること、ってこういうものなのでしょうか。
「そこにいて当たり前」の存在が、いなくなってしまうのは、やはり寂しいものです。
今回の引退発表の舞台となったイタリアGP以前から、各所で引退説がささやかれたり、GP開始前にも引退を匂わせるような仕種があったりで、引退フラグは立っていたように思えましたが、その間「きっと撤回するさ」と私自身は楽観的に考えていた・・・いや、「そうなって欲しい」という希望にすがりたかったから、そう思っていたのでしょう。
私自身、彼の姿を直接目の当たりにしたことが2回。
一回目は、お台場のイベントへ来た時の、気さくな好青年(いや、中年か^-^;のミハエル。
二回目は、2004年の日本GPへ、生涯初のF1観戦へ行った時に見た、完膚なきまでの走りを見せ付ける、王者としてのミハエルでした。
間違いなく、どちらも彼の本性です。
最多勝利記録、最多ポールポジション獲得、最多ポイント獲得・・・など、F1におけるあらゆる記録を欲しいままにしながら、これまで戦ってくるためには、常人の想像を絶する努力や苦労があったことと思います。
彼は天才ですが、”天才”なだけでは終わらず、最良の結果を得るために自分自身に出来ることを一切の妥協を許さず、自分自身が常に前向きに改善すべく努力をし続け、彼の周囲のスタッフたちの気持ちを一つにして、文字通り「総力戦」で勝ち続けてきたのです。
彼は自分に関わる全てのスタッフの名前をしっかり覚えていたそうです。
彼が勝った後のコメントで、「みんなのおかげだ」というコメント・・・いや、今のドライバーなら皆口にする台詞ですが、彼の言葉には本当に感謝と敬意が篭っていたように感じます。
そんなミハエル・シューマッハとと同じ仕事をやってのけられる選手が、果たして今後現れるかどうか?
可能性はゼロではありませんが、決して高くもないと私は思います。
彼の打ち立てた記録や、「赤い皇帝」と謡われた彼のイメージは、彼一人ぼっちでは、到底打ち立てられる仕事ではなかったのです。
06年のF1も、残りは3戦。
栄光の勝利へ、駆け抜けろ!ミハエル!(三石琴乃ボイスで・・・ってガンダムかよ!)
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